『PEACE MAKER』==ep2 「赤い女と緑の男」== |
夢を見た。
ドットの周りを顔のない人が囲い口々に何かを囁く。
やがて、その声は大きくなりドットの耳にもはっきりと聞こえるまでになる。
「可哀そうに可哀そうに可哀そうに可哀そうに可哀そうに可哀そうに可哀そうに可哀そうに可哀そうに可哀そうに可哀そうに可哀そうに可哀そうに可哀そうに可哀そうに可哀そうに」
1人の腕がスッとのびドットを押す。そのまま今度はその反対側の人が、またドットを押す。
「可哀そうに可哀そうに可哀そうに可哀そうに可哀そうに可哀そうに可哀そうに可哀そうに可哀そうに可哀そうに可哀そうに可哀そうに可哀そうに可哀そうに可哀そうに可哀そうに」
口のない顔が口々に口にする。
押されて押されて押し付けられる。
気付けば彼らの囁きが変わっていた。
「こんな子要らない、要らない要らない要らない要らない。こっちに来ないで来ないで来ないで来ないで来ないで来ないで来ないで。要らない要らない来ないで要らない要らない要らない要らない。」
気付けば囁き声も囲っていた人々も消え、ドットの目の前に二人の男女が現れる。
「「お前の・・・」」
ふたりの背後から巨大な脚がヌッと現れ、ドット達を踏みつぶそうと迫る。
踏みつぶされる直前、最後の言葉が投げかけられる。
「「お前のせいだ!」」
目を覚ますと、すぐ目と鼻の先には巨大な足の裏ではなく、壁が現れる。周囲はに人々はおらず代わりに埃が散らばっており、体の上には気持ちばかりの布切れが掛けられている。よく見るとそれが布団カバーであることがわかる。
「はぁ…」
こんなところで眠っていたのだ、それはあんな夢も見るはずだとひとり納得し、ゆっくりとベッドの下から文字通り這い出た。ベッドには当然のように眠る人がいる。
リナリア・アーテッド。
あの日からというもの、殆ど毎日この病室に入り浸るようになり、ひどい時はこうしてドットからベッドを奪って自分は布団の中に潜ってスヤスヤと眠っている。
ベッドなら3つも空いているのだからそっちを使えと言っても、だってそれだと看護師にすぐ見つかっちゃうでしょ?と言って聞かないのだ。
もういい加減に怒る気も無くなり埃を払い車椅子へと腰を滑らす。
彼女が起きるまで、ベッドはお預け。
あいも変わらずこの部屋は面白みがなく、彼女の寝息と何処の誰ともわからない目覚めの気配しか無い。
時間が酷くゆっくりで、退屈。
いつの日かのように、その視線を窓の外へと向ける。
巨大なビスケットハンマーが眩しい日差しを微かに遮り、その煌めきを和らげる。
窓の左端、孤児院へと目を向けるとすでにグラウンドを駆け回る子供達と、ゴミを出しに行く職員の姿。
ドットの病室で寝泊まりしてる時点でおかしいとは思っていたが、やはり誰も彼女を探していない。彼女の自由奔放さを思えば、分からなくもないがそれでもどうもスッキリせず、何だかモヤモヤする。
嫌なものから目を背けるように今度は窓の右端に目を向けると、前の入院生活ではただの空き地だった場所にいつの間にか巨大なアンテナが立っていた。一体何のアンテナかと目をこらそうとした時。
「んあぁぁ〜…」
くぐもったあくびの声とともに布団がめくれ、赤茶色の髪がサラリと流れる。相変わらずいつも早いねと言う彼女に、お陰さまでバッキバキだけどなと皮肉るが軽く流され、やっとドットの中で時間が流れ始めるのを感じる。
「あ、そうだ!ねぇ、ドット。」
初めて会った時彼女は「ドット少年」と呼んだが、今は「ドット」と呼んでいる。理由は簡単で、単にドットの方が1つ年上だったのだ。
「ドットは洋服持ってないよね?
そこでこの前のお礼じゃないんだけど、ひとつ提案!
今日孤児院に洋服の寄付が来るから、ドットの分の服を貰ってきてあげる。」
寄付の品を勝手に貰って良いのかと思ったが、どうせいつも何着か余るしいーのいーのと言うので素直に甘えさせてもらうことにした。
「じゃあ一つ質問していい?」
「ん?」
「キッズとレディース。どっちが良い?」
病衣から久々の普通の服。酷く着心地が良いそれがドットを更にイラつかせる。ドットのメンズSの主張は却下され、そのタグにはキッズの3文字が並んでいた。服の贈呈主はニヤニヤ笑いながら、どうも納得のいかないドットに「それ見たことか」と嬉々として言い放ち、なおも食い下がるドットにはめでたく見栄っ張りの頑固者という烙印が押された。
気付けば太陽は高く登りすっかり昼になっており、リナリアは窓辺に腰かけ外の景色を眺めている。
赤茶色の髪が風になびき、彼女の顔が見え隠れする。そんな彼女の視線の先を見て、ふと、朝に感じた疑問が気になった。
君はここに居ていいのか?どうして誰も迎えに来ない、探そうとしない?
彼女がここに来て一緒にいる間、幾度となく思った疑問。
何度も口に出そうとし、ついに一度も聞かなかった疑問。
好奇心から開きかけた口、しかしその口から言葉が出ることはなく再び紡がれる。
「また、だね…」
「え?」
ドットがただモゴモゴしている間、気付けば彼女はこちらをじっと見ている。
「君はいつもそうだね。
始めと比べたら突っぱねることも少なくなって、私と喋ってくれるようにもなったけど。それでも、君は一度も私の事を聞こうとはしない。ううん、そうやって何度も、何か聞きたそうにはしても、絶対にそれを言葉にしない。
君は、何をそんなに怖がっているの?おびえているの?」
ドットは何も答えられない、彼女のドットを見つめる真っ直ぐな瞳がドットには恐ろしかった。
何かを憐れむようなその瞳が。ドットの不安を煽る。
だから、近づきたくなかったのだ。
親しくなりたくなかったのだ。
近づけば近づくほどにやがて向けられることになるであろうその視線に、ドットは耐えられないから。
だから、お互いを詮索しないように。せめてその一線を超えないようにしたかったのに。
視線が泳ぎ、息が詰まる。
どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?
ドットの頭がパンクする直前。
コンコンコン。
部屋にノック音が響き、はっと我に返る。
慌てて扉へと視線を向けるとすりガラスに人影がある。
ドット以外のベッドは空席である以上、用事はドットか一緒にいるリナリア。どちらにしても彼女がここに居るのはあまり良くない。ひとまず、さっきの答えは保留にし、早く隠れろと振り向くがすでに彼女はベッドの下へと潜り込んでいた。
さっきの事と言い妙に直感のいい彼女が、ドットは少し怖かった。
直後扉が開かれその姿があらわになる。
「アヒャ♪」
知らない女、ジーンズにダルダルの黒のTシャツという出で立ちの無頓着ともいえる格好にもかかわらず、その容姿はまるで雑誌のモデルのようで、毛先だけを明るいオレンジ色に染めた綺麗な黒髪、スラリと背が高く、そして…胸がデカい。
その容姿は、毛先の遊びを除けば綺麗なお姉さんといった雰囲気。だがとてもではないがその女に好感は持つことはできなかった。
「ンン〜。ありゃりゃりゃりゃ?思ったより、と言うか普通に普通だゾ。」
ガッカリだな〜ツマラナイな〜オモシロクないな〜、と、いちいち語尾を上ずらせた喋りが周りの人間をイラつかせるからだ。
ウ〜〜ン如何したもんかと呟きながら、その場でグルグル回り首を左右にグリグリと傾ける。
その角度は折れるのではないかと見てるこちらが心配になるほど。
ドットがグリグリグルグルする女に呆気にとられていると、いくら端部屋とはいえ病院に相応しくない怒声が響く。
「勝手をするな『万華鏡』!」
直後、扉の陰からヌッと手が伸び、女を廊下へとズイと押し出す。
「アヒャヒャ♪…怒られちったぁ~。」
万華鏡と呼ばれた女は倒れるか倒れないかの絶妙なバランスでクルクル回り、フラりフラりと後ろへ下がると、ピタリと止まる。そして再びアヒャと笑い、首を大きく右へと傾ける。
笑顔をその顔に貼り付けたまま下から上へ、ドットたちから見れば左から右へと視線だけを移し、入れ替わるように部屋に入る人影をを追う。
金色の頭髪を後ろへ掻き上げた髪、緑の瞳に、全身緑のスーツに身を包んだ男が部屋に現れる。
「突然すまないね。ドット・グリーンピース君。
私はダニエル・リップマン。
この病院と孤児院を統括してる者だ。
少し、私とお話ししようじゃないか。」
男は笑う。
何処までも優しい笑顔で、不敵に笑う。
「君に、ずっと会いたかった!ドット・グリーンピース!」
歩く、歩く、街を歩く。
真っ赤なレインコート、その手には今朝の新聞。
真っ赤なレインコートのフードの中、深い隈のある目が紙面を泳ぎ、その片隅に一ヶ月前に出会った家族の写真を見つける。
不意に、レインコートの女の息が詰まる。
しかしそれは幸せそうな家族の惨殺ニュースに心を痛めたわけではなく、実際に首が絞まったのだ。
女が振り返ると後ろにはレインコートの裾を掴む幼子が立っていた。
「寄り道したらダメだよ。」
「?」
「お婆ちゃんのお家に行くんでしょう?」
何を言っているのかと幼子をじっと見つめ、あぁ、合点がいった。
幼子の手には何度も読み返したであろう擦り切れた絵本が握られていた。そのタイトルは『赤ずきんちゃん』。思わず頬が緩む。
「アッくん!」
子供の母親と思しき人がバタバタと駆け寄り、慌てて子供を抱きかかえる。
「ゴメンなさい。この子がご迷惑を…」
レインコートの女は眠そうな顔の前で手をひらひらさせ、構いませんよと言い立ち去ろうとする。
だが、女の耳元で『何か』が囁いた。
「ちょっと待って!」
深い隈のある瞳に憂が満ち、張り詰めた声が、親子を引き止める。
女は親子のほうへと歩みを進める。
「ありがとう僕。ちゃんと寄り道せず、為すべきことを為すわ。」
そう言い子供の頭を撫でると、母親の耳元へとぐっと顔を近づけ、通り過ぎざまに母親の耳元で小さく囁く。
「あなた達の命はもう長く有りません。どうか、心残りの無いようにお過ごしください。」
「え?」
ヨタヨタと後ろ向きに歩き去りながら、優しい家族の映像をその目に焼き付ける。
「信じて頂かなくても結構です。それでも、準備だけはして下さい…」
女は、そのまま人混みへと消える。
歩く、歩く、街を歩く。
真っ赤なレインコート、その手はキツく握られて血が滲む。
寄り道はしない。多くの人が死ぬ。時間もそれほど無い。
急がねばならない。
「私は、あなたの思い通りにはならないわ、バンシー。」
女の頭上を青白い巨大な手が覆う。
==ep2 「赤い女と緑の男」 fin==